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アオリイカ釣り

これからデカいアオリイカが釣れる季節。

デカいアオリイカは賢い・・・?

釣れる数がヤッパリ少なくなっていく。

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この時のゲストも捨てがたい高級魚。

見た目はヨロシクないかもしれないけれど、出汁が美味しいし、刺身も絶品。

この時期のアオリイカ釣は、何かと面白くなってきます。

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近隣公園論

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そう言えば、公園での子どもたちの声が、聴こえなくなって久しい様な気がしたり、その良し悪しは別にして早朝のゲートボールの風景も過去の遺物・・・。

ブランコやジャングルジム、滑り台すらも危険だからと撤去されて、朽ちかけた鉄棒が誰も訪れなくなった、公園に威勢の良い雑草に囲まれて寂しげな公園が、目立ってきたような・・・。

公園ではしてはいけない規制の看板も朽ち果てかけていて、行儀のよい近隣住民はまるで、進入禁止の禁忌あるいは聖地の様に近隣公園を傍観あるいは無視、ブラックホール否、ブラックボックス状態の近隣の公園。

そこは、市税も投入され、自治体で定期的な管理もされていて、つまり予算と手間も投じられている。同時にボール遊びは許されないし、花火はモチロン自転車の進入さへ拒まれる・・・という事はヤッパリ聖地?

子どもたちの歓声は、近隣の住民にっとては騒音と同じで公害扱い・・・?もうベッタン(メンコ)、ビー玉、ゴム飛びを楽しむ子どもは皆無で、昭和世代のアーカイブだし。

時代格差の権利の主張、住み分けを強要する小さな世論。

さて、理想的な公園には、年齢の区別なく誰もが訪れ、鳥の声や犬が走り回っていたりして、そこには優しい境界線があって誰もが出入り自由で、そこで気を休める事の出来る居心地の良いパブリックな場所であって欲しいという思いがあったりします。

乳母車の近くでボール遊びは確かに危険だし、花火には火の用心は当然だし、自転車は事故も起こす。だからと言って、近隣クラウドは神の声、多数決原理で公園は雑草ぼうぼうなのは、何か本末転倒な殺風景。

何とかならないモノかと思いました。

例えば、ジモピーの物々交換会場やドッグラン、等々を期間限定でとか、小さなイベントとか香具師の皆様が人目を引く様なアノ夜店にあった魅力的なひと時とか・・・?

寒い日には、今どきの新しい方法で近隣の有志が集まって、焼き芋を公園で安全に楽しめる会とか・・・?大人の皆様ならチョッピリ恋しくなるアルコールも開放してくれて自慢話や武勇伝、漫才や落語とか・・・?

町々の個性が産まれる公園になったら好いかもしれません。

客観性と主観性の主観の件

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世の中には客観的な歴史観を厭う国がある様です。歴史を捏造して、教育している国があるみたいです。

理性より、真実より情緒が教育でも大切なのか、歴史を捏造して子どもたちを教育する。

理科系に情緒や主観性は通用しない。数字や物理現象には客観的で理性的な考えで臨まないと先へは進めない。

自動車も前に進めないし、電化製品もうまく作動しないし、飛行機も飛ばせない。

学問は客観的でないと、理性的でないと成り立たない。
自国のアーカイブに理性的で客観的に対応しないと事実は変わるでしょう?そう思うのです。

人の営みで国家が生まれるけれど、その場その時の風土や気候がその地に住む人々に影響を及ぼして国が生まれるのは一つの事実がある限り、歴史には考古学的な真実の追及や、発掘されたモノへの判断には理性と客観性がないと、事実とは乖離してカオスからは抜け出せない。

そんな事を考えていると主観性には、厭う気持ちに追従の余地がある。
客観性はすでに二項対立というか彼我(ひが)の関係、複数の発想が成り立たないと成立しないから、厭う気持ちよりも真実や事実が優先する・・・。

少なくとも第三者的に傍観すればそんな発想もある・・・?

ガリレオもケプラーもニュートンも徹底的に、客観性と理性で成果を上げて歴史に名を残した。

主観を吐露して名を成したのは、神様だけ・・・?
それ以外許されているのは、宇宙の法則・・・?

極めて主観的な、客観性と主観性の件m(_ _)m

マイカー 特殊塗装 ニュース

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本来、マイカーはピッカピカに磨いて美しくして走りたいモノ。

そこをあえて、サビだらけで塗装もはがれて、一見ボロボロに見えて、よく車検に通ったもんやな~・・・などと思わせる格好で走り回っている海外高級車。

これって、逆に目立つし盗難にも泥棒の油断を誘導して案外、効果的なのでは?ナドト思いました。

その作業を依頼された会社には、次の依頼があって話題になっているそうです。

社用車、特にダンプやトラックは貨物車なので、ひと昔前ならそんな恰好で、排ガスガンガンマフラーから噴き出して走っていたモノでした。

排ガス規制が今では当たり前のようになってSL同様、煙が路上から皆無と言えるくらい道路もクリーンになりました。

田んぼの脱穀しあたとのもみ殻を焼く光景も、垣根の曲がり角の焚火も無くなってしまいました。今や焼き芋はキャンプ地やそれ相応の施設でないと外では焼けない。イワシや秋刀魚を七輪で焼いていた光景が消えてきたように、田んぼも線路も道路からも煙が無くなって来ました。

少々話がそれました。さて、道路上ではそれなりにピカピカのクルマがビュンビュン走っていて、錆の浮いた車を見かけると逆に、目が留まる様にもなったと思うのです。

下手したらあんまりボロボロに見えるクルマは、パトカーに呼び止められそうな気もしないでもありません(^◇^)

昭和 平成 令和 義務教育 圧迫感

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元号にも是非が問われる国柄。何と平和で、ある意味幸せなイメージ・・・?

昭和の終わり平成の初頭、東西の壁は取り壊され、鉄のカーテンは風にたなびくようになって自由資本・共産社会の当時のイメージと今とでは色合いも違って見えてきて、地域紛争の構図も変わってきて、ふと気が付いたのが、義務教育の社会科のお勉強の件。

今更ながら思いついたのは、算数は義務教育で普遍の科目ランキング1位。数や四則演算は時代で変わらない。物理現象も変わらない。科学系はほぼ普遍。

けれども、国語や社会は時代で無常。音楽も図画工作も・・・。教える方も教えられる方も時代々々で、諸行無常の祇園精舎の鐘の声・・・。

というより科目自体のカテゴリーにも、昭和・平成・令和の時代で多少の差異が、あるのでしょう・・・。

地理や歴史、政治、経済はひっくるめて社会科だったけれど理科なら、生物、地学、化学、物理がそのカテゴリー。義務教育下では、算数は代数、幾何学、初歩的な集合論程度・・・?

数学という定義自体を哲学的にとらえれば、物理などの自然科学とは異なる発想もある事だから、広角で俎上に上げてしまえば、キリがない。

今や学校の先生は、ブラック企業並みの労働を強いれらているのも心配。

小学校のグラウンドも卒業したら、勝手に侵入したらまかり間違えば犯罪者・不審者扱い・・・?

少なくとも昭和な時代なら、卒業した小学校の校庭で中高生になって、親子でキャッチボールをしていても、先生は何も言わなかった。

正月の凧揚げも小学校で上げていた。

グローバル化は時代の流れ・・・?義務教育も時の流れで、見え方が変わって来たり・・・。開放が産む自由の束縛をしているかの様なイメージ。

ヒタヒタと迫って来る、自由落下を拒む様な粘性の抵抗を感じたり・・・。

元号を云々する自由はあるけれど、昔あった自由が今は無い様な気がする昨今。

世間の喧しさは粒子のブラウン運動の様に、密になれば熱エネルギーを発生して、まるで作用反作用の法則で平衡状態を保たされるような、そんな具合で社会は出来ている・・・?

この国は少子化人口の減少の傾向なのに・・・。

どことなく息苦しさを感じる時代の変遷とか。日々のん気な暮らしで感じる気のせい・・・?