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欲 社会 ヒト

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生物は繁栄するために過去、色々な歴史を経て進化して来ました。


中でも哺乳動物では、生き抜くために集団を結成して、社会を形成して、生き抜く方法を選択した動物も誕生しました。


それ以前に昆虫でもたとえば、アリやハチの様なケースなどは、社会や集団を意識させてくれるケースでしょう。


社会にはヒエラルキーが誕生するのが、自然の掟の一つなのかもしれません。女王アリやハチの様に・・・。


あるいはサルや狼などの集団のボスとか・・・。


それはヒトにも見受けられて、今ですらなお迷彩された見えないヒエラルキーが、あるのかもしれません。

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昆虫の場合はDNAとか、予め決められた運命があるようなヒエラルキーのイメージですが、動物の場合、個体差でこの世に生まれ出た後、それもその度ごとに集団が、無意識に決めているかの様です。


魚類の場合、成長の途中で雌雄が変わって、個体の大きいモノがオスになって、他のオスになりそうな魚を阻止して自分のハーレムを維持しようとする種類(ブダイ系)がいるそうです。


どうやら自然は、生き残らせるために生物に進化を要求して、なおかつ一部の生物にはそんなヒエラルキー的な構成を強いる様な図が、あるかのようにも想像できそうです。

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今問題のコロナウィルスも、より生存時間の永い生物に宿るために、刻々と変異するそうです。


動物に比べて単純な構造という理由で、ドラスティックな変異を遂げるため、ヒトにとっては厄介な存在でもあります。


さて、簡単に言ってしまえばこの階級制度、ヒトにとっては色々な場面で活躍して来ました。


もしかしたら今の人類、ホモサピエンス単体の生存は他の人種をコノ生物の特徴が、そうさせたのかもしれません。


あるいはそうではないのかもしれない・・・。


社会を形成したヒトには、他の動物には与えられていない能力で、自然が与えた階級制度を利用してヒトににだけ、通用するモノを創造したと考える事も出来たりします。

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例えばその一つが、神々や唯一神でもありそれは、色分けの手立てにもなり、差別も出来るタグになる・・・という発想。


言葉にも時間を示唆する表現もある一方、上下を表現する方法も編み出しました。


これって生物、本来社会を形成する生物にあるクセなのかもしれません。


それが人間の業になって、個体差を否が応にも意識して、上下関係を作りたい本能に・・・?


逆にその様な現象に抗う気持ちも併せ持って、ヒトはそもそもパラドックスな生活をも強いられているかの様です。


これだけ科学も発達して、哲学的思考も身に付けて、多少なりとも以前より生きやすくもなって、順調に人口も増えてきた。


小さい事から大きい事まで色々と探求してきて、膨大な情報を整理して蓄積してきた私たち。


それでも他方では今なお大きな企業ではこれらを活用して、人類世界を把握したい願望が進行しているかもしれません・・・?


例えばアルゴリズムで変わる世界とか、制度や運営方法の違いで、争いあう社会や国家間でとか・・・。


生存競争で生き抜こうとするのが生物の一面、ソコには何が何でも生き抜こうとする力が作用する、その一つが "欲" なのかもしれません。


善きに付け悪しきに付けこの欲求は、社会に大きな影響を及ぼして来た。


社会が成熟すればするほど、彼我の間で極力気づかぬように、まるで忍び足の忍者の様に、癌性の悪種が蔓延したら大変です。


AIや量子コンピューターによる社会貢献が、健全に営まれるように力なき大多数の人類は希(こいねが)うしかありませんが、生存の決め手である "欲" とは良薬にも毒にもなるモノ。


神の罰が当たらぬように、良識を発揮して欲しいところではあります。

釣り入門 情報 流れ

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釣りから伺える流れ


船釣りが趣味です。

船釣りを始める前に、会社の同僚から磯釣りを教えてもらいました。

その経緯(いきさつ)は魚釣りを覚えて、グレ(メジナ)を釣りたくなったから・・・。

この魚はアングラーの対象魚として、磯釣りをする皆様には格好のターゲットとして有名な魚で実際、釣り味の楽しい魚なのです。

魚は種類によってファイトにも色々と差があって、それは釣り味の一つとして釣りする人に大きな刺激を与えてくれます。

グレ(メジナ)にはフッキングしたら大きくダイブする習性があって、竿をグイグイ海底へと引っ張り込む動作を示してくれます。

真鯛ならいかにも首を振って、針を外しにかかる情景が、脳内を刺激してくれます。

ガシラ(アラカブ・カサゴ)は針掛かりした一時ピピンと暴れますが、後は硬直したように体を曲げて口を大きくあけて上がって来ます。

ハマチやカツオなら、遊泳力を誇示するかのように縦横に泳ぎ回ってグイグイ引きずり回すような印象でしょう。

クエやまはたなら、重たい石が底でゴソゴソ動いているの様な感じで、ある程度まで浮き上がらせることに成功すれば、その重さだけが感じられる感覚です。

サメはいかにもサメらしい重くて青物ほどではないにしろ泳ぎ回って、白い腹を見せれば後は比較的おとなしくなる様な印象です。

さて、手前事に戻りますが当初は、あるきっかけで海釣りの楽しさを知って、当時は週末になると近くの波止で赴いて、そのまた近くの釣りエサ屋で仕掛けと餌を購入しては豆アジを釣って、自宅に持ち帰ってカラ揚げにして三杯酢で楽しんでいたモノです。

その頃の印象は、豆アジ1匹すら自前で釣って調理したら、驚くほど美味かった。

ヤッパリ美味しい思いをするには、何事にも自分で手間ヒマかけて金かけて、足と手を使えば叶えられると実感した事が、今でも印象に残っています。

美味しい豆アジへの食に対する費用対効果は、スーパーマーケットで購入する価格の数倍はする行いです。

けれども、スーパーマーケットの豆アジの三杯酢では味わえないその美味しさは、釣りする楽しさも相まって、辞められない毎週のルーチンになり、よく通ったモノでした。

家人にも美味しい豆アジを理由(?)に何らのお咎めの声もなく、マァ唯一の息抜きなのだからと半ば、放任されてもいたので結構ハマっていました。

当時は週末に波止釣り通いが習慣になって、それがいつしか獲物はデカイ方が面白い事を感じる様になり、チヌ(黒鯛)釣りにノメリ込み、果てはグレ(メジナ)を追い求める結果になったワケなのです。

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波止釣りから磯釣りへは、ある意味確信犯的移行なのかもしれません。

釣りする面白さとは、獲物(自然)相手のゲーム性と道具(タックル)にもあって速い話、無数の魅力が釣りには隠されていて、それにハマり込む時間にソンナにテマヒマはかからなかった・・・(>_<)

何時しか磯竿のシナリや曲がり具合にまでコダワリが拡がって、気が付けば磯に上って釣りを楽しむ小腹の出た、中々釣れない裾野アングラーに・・・?

磯に赴けば、色々な(自然)現象にめぐり合えるようにもなりました。

先ずはフカセ釣り(仕掛けを波に乗せて釣る釣り方)をすれば、流れを知る事になります。

そう、見えない流れを知る事に・・・。

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釣りが示唆する世間の流れ


簡単な話、海流とは単に旅客船に乗っているだけなら、表層の海面の流れしか気にならないモノです。

特に海流に興味のない人なら誰だって、海の流れとはそんなモノだと普段は感じている事でしょう。

ところが磯釣りを覚えて、魚を釣るという行為の中では、潮の流れに気が付きます。

それは表面の流れと底潮の流れの違いという事実です。

さらにそれが判ると判らないのとでは、大きな違いがあるのが磯釣りなので、当初は結構悩まされる現象なのです。

つまりは、その日の釣果に歴然の差が産まれるし、釣りやすさにも差が出てくるし・・・。

逆にイメージが拡がって新たな謎が産まれてきて、その中には謎解きできるモノもあれば、不可解なモノもある・・・。という事なのです。

海の流れ、とりわけ "流れ" とは、色々な事を釣り人に投げかけてくれる自然現象なのでした。

天候(時間の流れ)や潮流で釣れる獲物が変わるのも、磯釣りの妙味の一つです。

それすら初心者には楽しい磯釣りになって、視界に広がる海と空のシンプルな光景は、裾野アングラーのショボイ脳内にも抽象的な"流れ"の奥行や広がりを教えてくれたのでした。

結局そんな発想も、磯から下りた後も世間の流れの色々について、邪推して見たり、想像してみたり・・・。

それは、まるで磯釣りでターゲットの獲物との勝負に重なってくるという現象あるいは錯覚なのかもしれません。

とはいえ時として予知能力が働くのか、"この事件、いずれこうなるのでは・・・?"というデジャブが、フト過ぎったりもして、これって磯釣りジャン的なハプニングにも遭遇したり・・・(^◇^)

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メディアへの流れ

アッと言う間の人生とはよく言ったものです。

それは積年の経年変化で指数関数的に心身で受け止めねばならない、人間の一つの事実なのでしょう。

子どもの頃は新聞・週刊誌やテレビ・ラジオの情報が、最先端だった。電報・固定電話が、最速の通信方法だった。

今ではスマホでメールとか、所かまわず即連絡、新聞やテレビが投げかける信頼性や価値すら、ピアツーピアのネットワークで評価の一対象にすらすぎなくなってしまった・・・。

それら古来の情報のみに依存しているのは、もはや世間の流れに揉まれている、頑迷な思考に取り付かれた方々という印象・・・。

その加速度は一層高まって、たとえば一時の産業王国の我が国も気が付けば、GAFAや隣国諸国の席巻で後塵を拝する立場に・・・?

他方では人口の減少、高齢化社会、温暖化等々の喫緊の課題に、今なお後れを取っている政府、増税による生活の圧迫とか、学歴社会の崩壊とか、終身雇用の終焉・年金問題の先細りとか・・・。

様々な悩みが、表層の流れにタユタウ様に広がって、見えている・・・?

おまけに、昨今ではコロナウィルス・・・。

どうなる明日のわが身。ナンテなこと考えていると気が、滅入るばかり。

でもこれってすべて真実なのでしょうか?

という事で、これらの問題に回答を示唆してくれると言えば、一つに今までの歴史観であったり、新たな発想であったり、今まで培ってきた人類の英知や現在進行形の未来への欲求から編み出した情報とか、なのかもしれません。

宇宙は運動している。

私たちに時間の概念が作用しているのは、海面の表層なのかもしれません。

この存在という感覚は、個人の見解で実は、過去も今も未来も空間も個々人で違う何か、なのかもしれません。

とにもかくにも、個々人の捉え方はそれぞれのベクトルが生まれて行きつく先が違ってくるのは、どうやら一つの事実です。

成功する人しない人、途中で他界する人、新たに生まれる人、世間は流転する。

ある人は輪廻転生の様に回転している様な感覚だろうし、別の人は直線運動の様に延々と時空が進行しているのかもしれません。

量子力学では重ね合わせの発想が認められているから、何もかもが一つのレイヤーで無数の何かが重ね合わさっているのが今なのかもしれません。

とにもかくにも私たちは時間の流れの中で、変わって来ました。

いずれは地球を離れて、空間すら変えて生きていくのかもしれません。

こうなってくるともうSF的なお話で、現実性が損なわれているという言う方々もいるのかもしれないけれど、つい最近までコノ現状を予想できた人々っていたのでしょうか・・・?

情報収集の時短化、質や量、鮮度とか真偽も相まって私たちは、あの頃以上に知る方法を身に付けられるようになりまた。


瞑想 苦楽 解放

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世間では、瞑想と言えば宗教の色合いをイメージします。


けれども、純粋な瞑想はむしろ哲学的な行為に近く、人が宇宙と一つ・同等という一見、怪しい思想の様にも思われたりします。


私たちは義務教育を受け、その中のほんの一握りの人が優秀な成績で、最高学府へと進学し最先端の知識を研究しています。


その様な彼らの中の更に光彩を放つ天才は、いわゆるノーベル賞受賞する世界クラスの天才だと、言います。


ほんの数人の天才すらも理解しえない極致の発想を彼らスーパーな天才は、難解な数式をあやつり(?)、この世を知ろうと努力する。


そして私たちは微細な世界から、銀河系すらチリの一粒の様な宇宙のイメージを、彼らからオボロゲながら教授されます。


万有引力から、相対性理論、そして量子力学は彼らの努力で、ある程度まではそのベールを覗き見る事が出来ているのが、現代なのだそうです。


ノーベル賞クラスのそんな大天才の皆様はおしなべて、哲学的な発想を考えざるを得ないそうです。


究極は人の存在とか、時間とか、空間とかエネルギーも未だ、人知の及ばぬところがあって、その辺りの考察はもう、宗教的な拠り所がないと、うまい具合には説明できないそうです。


それは、既存の宗教ではなくて、大宇宙の営み自体を神として・・・?


大宇宙の神は私たちでもあり、その一部かもしれないし、客観的な対象なのかもしれないし、そのどちらでもないし、どちらでもある・・・。


とか、何ともとりとめのない回答が返って来たり・・・?


事、物理学と数学は数式で探求されて、臨床ではなく真理に近い学問とされています。


けれども、確率論で解に幅が出てきたり、ダークマターやエネルギーの存在がイメージできるようになっても、それが何なのかまだまだ不明だし・・・・。


まだ未知なる部分を探求されている人類の最先端の頭脳でも、行きつくところ哲学的なイメージで、瞑想とリンクするそうです。


瞑想と言えば、釈尊の悟りのあの瞑想で、ビパッサナー瞑想が有名で、これなら有志ある人々にも体幹できるそうです。


解脱・無欲・無反応の本当の意味は苦からの解放、良く生きるための手立てであることを、頭で理解するのではなくて体感するというのが、ビパッサナー瞑想です。


心身の健全を追い求める時、この瞑想は結構貢献してくれていて、書籍もたくさん出版されています。




ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法

将来 生活 経済

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私たちは国籍を持って生きています。

どこかの国で住んで、その国が平和なら納税と勤労の義務が発生するのが一般的なお話。

生きていく国が平和な国なら幸いです。争いや国際的に非難を浴びている様な過酷な国なら大変です。


少なくともこの国の場合、教育を受けなければいけません。義務教育とは当人も国家にも負わされている義務。

そこで教わる教育とは生きていく上での読み書きそろばん以上の知識を受けさせてくれます。

人は社会を営んで生きて行かないとイケマセン。


文字を読めて書けて理解できないといけないし、数字の概念も理解できないと生きてはいけません。

そんなの当たり前と言われれば当然なお話。


この教育で世間は、個人の頭脳が明晰かどうかを判断したりするのが、普通のいわゆる常識になっています。

学歴や職歴で判断されている・・・。


その様な価値観はソロソロ限界に達して来そうな社会の将来が今、巷で騒がれ始めました。


お国は生涯就労できる企業が減って来て、リタイア後の年金も満額の支給額は生活費に比例できなくなってきて、老後にもなにがしかの所得を国民に強いる様に迫っている印象です。


幸いにも不労所得のある皆様なら幸いです。でも就職して企業や団体から支給される一般に言われている、サラリーマンにはつらい将来が待ち受けている・・・?


たとえ頭脳明晰で、立派な教育を受けて就職したとしても将来に不安が募る社会が、大きな口を開けて待っている・・・?


何とネガティブな将来・・・?


でも実は人類は過去、様々な苦難を乗り越えて来ました。なので、これからも過去にそうして来たように行動しないといけない。


そうしないと暗い将来が待っている。それには今までの常識では歯が立たない。


せめてお金の知識を身に付けておかないと貨幣経済・自由主義経済な世間の波を上手くは進めない・・・?


今からでも遅くはないお金の知識は、身に付けておいて損はないでしょう。




金持ち父さん貧乏父さん改訂版 アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 [ ロバート・T.キヨサキ ]

火焔型土器 芸術 爆発

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この国のルーツは奈良や京都とかの場所ではなく、縄文時代という事をアートで終始表現した人と言えば、岡本太郎。


生前彼の芸術には賛否両論で国内はフィーバーしました・・・。フランス語はペラペラ、ピアノも流ちょうに弾きこなし、民俗学をマルセル・モースに師事して造詣も深く、師より弟子として三人のうちの一人として称賛されたとか・・・。


いわゆる天才の彼が有名になったのはヤッパリ、太陽の塔・・・?万博のシンボルは人類の進歩と調和を否定していた。太陽の塔は人類の多様性とか生命の格闘の歴史を内在したモニュメントだった・・・。


他方で彼の「芸術は爆発だ!」というスローガンが有名になって、正しく彼の芸術は非凡な作品が多くて、未だに賛否両論・・・。「グラスの底に顔があったっていいじゃないか。」とCMにも出演して、粗品のウィスキーグラスもデザインして、彼のアートは庶民的で親しみを惜しみなく私たちに提供してくれました。


縄文式土器を火焔型土器と名付けたのも岡本太郎だったとか・・・?縄文時代は1万年以上も続いて正しく、この国のルーツなイメージです。


土器は日本がルーツなのだそうです。陶磁器のルーツは日本だった。金属製の食器もあるけれど食をおいしく表現してくれるのは陶磁器の方に軍配を上げたくなるのは、古来よりのDNAなのでしょうか・・・?